2012年6月27日水曜日

感覚の分化と搾取の歴史

科学がいう宇宙の始まりは
最初にビッグバンがあって
しばらくは、あらゆるものがぎっしりと詰まっていて、
あるとき急速に膨らんで、空間が澄み渡り、
光が動けるようになり、現在の宇宙の姿になっていった。


ものすごく簡単に言えばそういうことですけれども
それは現代の宇宙論がとなえる物理的な物語です。




私は宇宙の歴史を感覚の分化の歴史と捉えます。


最初に信じられないくらいの密度の感覚があって(原感覚)
やがて熱や圧力や広さの感覚に分化してきたわけです。
重力感覚や電磁気感覚も生じてきました。


さて、画期的な出来事は、生命の誕生です。


初めて感覚を体現するシステムが出来上がったのです。


そしてまた長い歳月が流れて生命システムの中に
もう一つシステムができました。意識です。
人間の誕生は、意識の誕生でした。
意識は、感覚の現前をまた再現前するというもので
その前にあったシステムを相対的に見ることができるので
自分の身体に対して、「私」と名付けることができたのです。
自意識をつくることができたのです。


そしてさらに最近もう一つシステムが出来ました。
社会システムです。
いまや高度に発達した資本主義システムは、自律した生命のようなものです。
このシステムに自意識がある、というとSF的な話しになるのですが
このシステムは内部の経済活動によって個々の感覚を表現します。


さて、生命システム、意識システム、社会システムと、
感覚は、”折りたたまれて”きました。
これは土地の私有制と同じようなものです。
本来だれのものでもないはずのものを、
あたかも自分のものであるかのようにしているわけです。


遍在しているはずの感覚が、閉じ込められ、
隔離されてきたのです。


感覚は意識システムから解放されるべきであり、
また社会システムからも解放されるべきなのです。


いまや我々は社会システムによって取り囲まれているので、
感覚を社会に譲り渡している状況です。
自分の存在感覚が希薄になっています。
これを存在論的搾取といいます。


奪われた感覚をとりもどし、
折りたたまれた感覚をバラバラに撒き散らさなければなりません。


意識や社会は必然的に生まれたものですが、
それに感覚を預けてしまうのは間違いで、
今は過渡的な時期にあると思うのです。




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2012年6月24日日曜日

たぶんあと100年で劇的な変化が起こるだろう

たぶんあと100年で劇的な変化が起こるだろう。




人類は、自分たちが漆黒の虚空の中の孤独な存在であることに気づくだろう。


そして、自分たちの存在している意味を知るだろう。


全てのものが同じであることを知るだろう。
生と死も同じものであることを知るだろう。


本来的でない時代は終わって、本当の時代が始まるだろう。


近代という時代は狂気の時代だった。
この100年間は特にひどかった。
いまが一番ひどい時で、このような時代はあと100年は続く。
それが終わって本来あるべき姿に戻るだろう。


しかし太古の昔と違って、迷信にしばられることのない、
科学的に透徹した目が開けている
たくましい、しっかりとした時代だろう。


その時代は長く続くだろう。
1万年以上かもしれない。


しかし、そしていつの日か、終わることだろう。


人類は、終わりを自ら引き受けるだろう。


その終わり方とは、つぎの2つのうちのどちらかだろう。


別のものに進化するのか、
それとも、ただ絶えるだけなのか。


いづれにしても人類は、その変化を
必然的なものとして受け入れ
ヒトが生きていた時代は終わるだろう。


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2012年6月15日金曜日

ゲシュテルとの四つの道

私がゲシュテルといっているのは、ハイデガーが「技術論」の中で言っている、現代の技術文明全体のことです。

それは、何かのために役立つこと、を推進力として進んでいる生き物のようなものです。たどり着くところは、お金のためということになるのですが、それだけでは何ももたらさない、ニヒリズムを生産するような装置です。

何かの役に立つということは「用象(ようしょう)」ともいいますが、ゲシュテルは「用象の体系」ともいうことができるでしょう。

私たちは、このゲシュテルに取り囲まれて生活しています。それどころか、心の底までゲシュテルに浸っているといっても良いでしょう。

さて、ゲシュテルには良い面と悪い面があります。
良い面は、医学の発達によって病気を克服したり、生活を便利にしたり、産業を振興したりすることです。また不合理な迷信から人間を解放し、明快な近代性をもたらすということです。
悪い面は、自然界から人間を分離し、精神のよりどころを不安定にさせ、人間を心底から管理することです。また、破壊的なリスクを伴います。核戦争の脅威、環境破壊、原発事故を引き起こすリスクがあります。

このゲシュテルに対峙するには、4つのやり方があります。


1、不穏な道 
不穏な道は、はっきりとゲシュテルを否定する道です。原始的ともいえる死に物狂いの反撃で、ゲシュテルの破壊を試みます。さまざまな人がいますが、主な破壊者は岡本太郎、バタイユ、クロソウスキー、埴谷雄高などです。
生身の人間の感覚でぶつかり、自分が死ぬか、相手が壊れるかというところで勝負します。



2、死の道
これは絶望的なあり方ではありません。
死後の世界について語るということです。ゲシュテルは死には付いていけないので、死をもってゲシュテルから離れることができます。死後の世界が存在して、この世は死後の世界のほうが本質的であって、この世はその本来的世界の反映にすぎないのであれば、ゲシュテルもなんら本質的でないことになります。


3、無の道
無の道は、毛利衛さんが宇宙から地球を見たときの達観にも似ています。すなわち「地球も人類も、あってもなくても同じこと」「なのにある。あるようにしてある。」
この人間としての視点を離れたところから出発しているところにこの道の特徴があります。
「すべては同じもの、隔てるものは何もない」という荘子や老子の思想にも通じるものです。
つまり、ゲシュテルもあるようにしてあるもののひとつであり、なんら特別なものではないのです。



4、知恵の道
知恵の道は、ゲシュテルが活動している現場に足を運び、ゲシュテルの作用を良く見て、知ることです。工場や農作業の現場、清掃センターや埋め立て処分場などを見て、ゲシュテルの活動の様子を五感に叩き込むことです。ゲシュテルの働きを知ることによってゲシュテルが対峙している相手(自然)を、人間対自然ではなくゲシュテル対自然として認識できるようになります。


・・・・・・・これらのことを公園の池の近くで考えていると、ウシガエルが「ぐううぅぅ」と鳴きました。
私はハッとしました。

しかし、何にハッとしたのか、わかりませんでした。




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