2012年4月29日日曜日

存在論的搾取の解決法

前回述べた「存在論的搾取」とはどういうことか、今一度説明することにしましょう。

--自分が存在しているという確信。
--自然または宇宙のなかでの自分の位置を見極めること
ということが奪われてしまっているということ。
です。

なぜならば、地球全体に広がった現代の技術文明の中で私たちは生活しているので、
自然に直接接して生活しているわけではないからです。

私たちの生活は、自然に振り回される不安定さは緩和されていますが
自然の中における自分自身の位置を見失っています。

さて、ハイデガーは、この現代の技術文明のことをゲシュテル(Ge-stell)と名付けました。
正しく言えば、ゲシュテルとは、自然を資源として用立てるための機能的本質のことですが。


ゲシュテルに、私たちの存在そのものを奪われてしまっている状況を
存在論的搾取 と言います。

奪われてしまった 存在 をどうやって取り戻せばよいでしょうか。

いくつか方法があるのですが

1、自分が地球的規模の身体を持つこと。
これは、大洋をヨットで横断したり、8000メートル級の山に何度も登ったり、密林の中に分け入ったりして、この地球という惑星を自分の身体で感じ取れるようにすることです。
このようなことを成し遂げることは偉大なことですが、万人が出来るわけではありません。こういうことが可能な人は極く少数です。

2、大昔の人の自然感を復活させること
例えば日本に古くからある村-里山-霊山の関係、ヒト-獣(ケモノ)-自然神 という自然感を
復活させることです。
アメリカ原住民やオーストラリア原住民にも、そのよう伝統が細々と生き続けています。

しかし現代の資本主義社会の中で、そのような自然観を真の意味で復活させることは
不可能といってもいいでしょう。

そして、第3の方法が出てきます。

3、惑星規模の現代の技術文明(ゲシュテル)を、一種の生命体と捉え、そのゲシュテルの感覚を仮想することです。

わかりにくいと思いますが、考えてみてください。
いまや宇宙ステーションからの鮮明な映像が家庭に届く時代です。
オーロラや大洋や雲の壮大な景色とともに
地球の夜の側に息づく夜景の鮮やかさも同時に見ることができるのです。
それら地球に広がった技術文明(ゲシュテル)は地球の表面に巣食う一種の生き物であると考えても、さほど無理ないことではないでしょうか。

この生き物は、地球にべったりとくっついて生きており、すぐ頭上は宇宙であり、すぐ下側は地球という名の岩の塊です。

もし、ゲシュテルが、生物であると、すれば、ゲシュテルは明確に自分の位置をわきまえているはずです。
ゲシュテルの存在感覚は、地球に巣食って、地球とともに宇宙を旅している感覚です。
私たちが働いたり、消費したりする活動は、ゲシュテルにとっては身体の働き、内臓の働きに他なりません。
私たちの生活や生命は、ゲシュテルにとってはそのような意味があり、自分の活動の意義をゲシュテルに対照させること。そして
このような感覚に、私たちの感覚を接続させる必要があるのです。


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2012年4月26日木曜日

存在論的搾取

しばらく更新をしていなかったが、
何もしていなかったわけではありません。

ハイデガーの技術論を読み終え、彼のいう
「技術の本質と芸術の本質は同じ」、ということについて考えていました。



私は、ゲシュテル(この地球全体に広がった技術文明)と我々人間との関係を、整理しようとしていました。




それには、ゲシュテルを生命・生物と考える必要があると思いました。
奇妙なことに聞こえるかもしれませんが、現代の技術文明をある一つの生命体と考えると、都合が良いことに気がついたのです。


ゲシュテルは地表にへたばって、地中からエネルギーを吸い、様々な生物と共生しています。主な共生生物は私たち人間ですが、農業や養殖漁業など、数限りない生物と共生しています。


そして、それ(ゲシュテル)は地表と地下と大洋に直接接しながら生きています。


それ(ゲシュテル)は、惑星的規模、宇宙的規模で生きている。身体もそうだし、認識もそうだ。
それの空間感覚、時間感覚は、人間とは比べものにならない。


それの周囲には宇宙空間があり、すぐ下には丸い地表がある。それは、たった一人で宇宙空間に対峙している実存的な存在です。




さて、私たちはゲシュテルという生物の中で生きている、いわば細胞です。私たちはゲシュテルに生を委ねている。したがって自分が何者なのかということを自然の中で位置づける必要がないわけです。
自然の中での位置づけは、ゲジュテルに取り上げられています。




これは、存在論的な搾取であり、


私たちは、存在論的貧困 の状態にあります。


いまやゲジュテルは存在論を独占しているわけです。


ではどうすれば良いのか。


次回以降にそれを考えていきましょう。




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