2010年8月30日月曜日
中之条ビエンナーレのオリエンテーションに行ってきました
今回で3回目となるこのビエンナーレ、町役所の全面的バックアップの元、貴重な文化財の建物も会場に提供しています。
重要文化財の養蚕農家跡の富沢家住宅。これも会場の一つ。
富沢家住宅2階のカイコ場にあるカイコの繭容器。まるで作品のよう。
廃校となった木造の小学校も会場に。中は当時のままで面白い。
四万(しま)温泉の古い旅館(これは会場ではない)
温泉情緒あるパチンコとスマートボール場。(これは会場ではない)
足湯もあります。
町の人もおじいちゃんおばあちゃんも、皆「ビエンナーレ」という言葉を知っています。
スタッフは役所の人も含めて6人。大きな資本投入もなく、本当に手作りのイベントです。それでも会期中16万人が訪れるといいます。
自然が豊かで、静かで良い所です。
役場の人は「町おこしイベント」と言っています。地域再生に参加できて嬉しいと思います。
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2010年8月25日水曜日
バリ島 2 ~資本主義システムとの関係~
「人びとはバンジャールなどの地域組織に属することで小さい頃から隣人との助け合いの心を身につけており、喧嘩を好まない。このような背景もあって、住民の性格は非常に温厚である。」(wikipediaより)
バリ人から受ける素朴な感じ、ちょっと恥ずかしそうな笑顔、大きな声を出さないなど、日本人とよく似ていると思ったが、このような村社会があるからであろう。それに加え、がたがたの道、薄汚れた家などをみていると40年くらい前の日本を思い出す。
様々な宗教儀礼が日頃からおこなわれ、また祭りが非常に多い。毎日、どこかで祭りが行われている。
私の滞在中、近くの寺院で大きな祭りがあったので腰布を借りて見物に行った。(一応神聖な場所なので腰布をつけないと入れない)。 ガムランと踊り中心の舞台だったが、夜の10時ころから始まって朝方まで続くという。(私は子連れだったので11時ころ帰ったが。)
この祭りは穏やかなものでしたが、バリの中には、人々がトランス状態になってしまう激しい祭りもあるらしい。
このような地域社会との深い結びつきや、各種の芸能、祭りなどのイベントによって、バリ人の精神的満足度は非常に高いと聞いている。
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さて、なぜバリは地域社会と宗教儀礼などの昔の社会システムが、連綿と生き続けているのだろうか。世界的には資本主義社会の発達とともに、そのような旧社会システムは廃れてきてるというのに。
社会システムは、典型的には血縁システム、封建主義システム、前期資本主義システム、後期資本主義システム、という順に変化してきた。西欧や日本はそのような経緯をたどったが、バリは違ったのである。
そもそも土地の肥沃なバリ島では、さほど長時間働かなくても食べるに十分な糧を得ることができた。余った時間を、楽器演奏や舞踊、工芸、宗教儀礼、祭りなどに費やすことができた。今日につながるバリ文化の基礎が作られたのである。
オランダの支配下に入ると、西欧社会はバリの豊かな文化に目をつけ、「神々の息づく神秘の島」としてバリの観光地化に乗り出した。さらに戦後のスハルト大統領時代にリゾート開発が進められ、バリの観光産業はこの島に根付いていったのである。
「物質文明に疲れた資本主義社会の金持ちが安らぎを求める場」としてのバリ島の地位が確立した。芸能も工芸も観光客に見せるアトラクションとして完成度を高めていったのである。
そしてバリ人の基本的生活基盤であるバンジャール(村)と宗教生活儀礼は、そのまま存続したのである。
ご存知のように、日本では60年代以降の急速な大都市の発達によって地方から若者がいなくなり、地域文化が継承されなくなった。一方バリではそれが起こらなかった。
バリ人と、西欧をはじめとする資本主義社会との、両方の需要によって、バリの伝統社会は残り今日までバリの揺るぎない社会基盤となっているのである。資本主義との特異な共同関係によって、自分達の伝統文化を守ることが出来たのである。
バリは、資本主義システムを自分達の価値観にうまくあわせて相対化している。例えば、バリには特有の空間倫理があって、山側はカジャといって聖なる方向、海側はクロッドといって穢れた方向である。(バリ人が亡くなると盛大な火葬行事を行って灰を海に流す。だからバリ島には墓はなく、代わりに家の敷地内の山側(クロッド)の東側に小さな寺を建てて毎日拝んでいる。)
観光客で賑わうリゾードがクタやレギャンなどの海辺にあるのは、彼らの空間倫理に適っているのである。
自然-身体-精神-社会をつなぐ観点から言えば、バリ社会は一つの模範となる。宗教儀礼や祭りが、その4つをつなぐために機能している。しかし資本主義との特異な協力関係なくしてこれは実現できなかったはずだ。
日本のように精神文化を新たに作っていかなければならない状況にある場合、芸術がそれに関わることができるであろうか。
昨日、私も参加する中之条ビエンナーレ2011のオリエンテーションに行って来た。町の文化財の養蚕農家建物や、廃校となった木造小学校を会場にした現代アートのイベントである。120人のアーティストが参加するという。資本投入はない。町役場の協力のもとにある手作りのイベントである。詳細は次回に述べるが、わが国でも地域文化再生の胎動が見られることは述べておこう。
最後に述べておきたいことがある。
1965年にスマトラ、ジャワ、バリなどで共産主義者の虐殺事件が起こったことである。
詳しくはこちら→インドネシア共産党
特徴的なのは国家や独裁者によって殺されたのではなく、民衆が虐殺に参加したことである。
共産主義者は神を信じぬ輩として、宗教的な義務として行われたようなのである。
犠牲者はバリ島だけで8万人ともいわれている。実に当時の人口の20人に一人である。魔女狩りに近い疑心暗鬼の状況だったのではないだろうか。自らの宗教的な生活価値を守るために、バリには血が流されたのである。
この事件は、楽園バリに相応しくないエピソードとしてタブーのように扱われ、話されることは極めて少ない。
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2010年8月24日火曜日
バリ島 1~バイク・観光・宗教~
今後数回に渡って、バリの社会・宗教・資本主義との関係などを考えてみたいと思います。
さて、猛暑の日本ですが、それに比べて赤道近くのバリ島はなぜか涼しい。
28-30℃くらいです。Tシャツ短パンで過ごすには兆度良い気温です。
バリ島中部のウブドというところに5日間滞在しました。
ウブドは芸能・文化の中心地と聞いていたので、静かなところかと思いましたがとんでもありません。
道はバイクだらけ。排気音も日本のスクーターより大きくて、そのうるさいこと・・・。
バリ島に到着後、最初に空港から降りて目的地に向かう途中、旅行者が出会うのは、そんなスクーターだらけの光景です。
楽園バリとは、オートバイの楽園のことなのか??
信号はありません。でもそんなに飛ばす人もいません。
ウブドの道はガタガタで歩きにくい。道端のドブにフタをして歩道にしています。ところどころ壊れています。
野犬なのか、放し飼いなのか、毛が剥げた犬もよく歩いています。
たくさんの外国人が、ひっきりなしに道を歩いています。欧米人が多い。言葉を聞いていると英語、フランス語、ドイツ語、中国語、日本語・・・世界中から集まっています。
ウブトは言ってみれば軽井沢みたいなところで、短期旅行、長期滞在、あるいは居住している外国人が非常に多い。
それら観光客相手の面白いショップ、レストラン、カフェ、ギャラリーなどがどこまでも軒を連ねています。
これら表通りが観光街としてのウブドの表の顔です。
一歩通りから裏に入ると、美しい棚田が広がるのどかな風景です。
今も昔も変わらぬ風景。この喧騒と静寂のギャップが凄い。
バリ島のもう一つの主産業の農業です。熱帯のバリでは1年に何回も米がとれます。田植えしたばかりの棚の隣は、重そうに稲穂が垂れていたりします。
もう一つ、バリ島の特徴はバリの人々の信心深さです。
バリの宗教はバリ・ヒンドゥーという特有なヒンドゥー教で、町のいたるところに寺院があり、 祭壇があり、それらには必ず線香や供物が置かれています。
ショップの前には、必ず浄めの供え物があります。毎朝かならず供えるのです。
どんなお店にも部屋の片隅に必ず祭壇があり、供え物が入っています。
この写真は美術館の中ですが、モダンアートのギャラリー内においても必ず祭壇があります。
美術館の入口。職員がお祈りとともに供え物をしています。
バリの人々の生活は、これら宗教儀礼で埋め尽くされているといっても過言ではありません。
バリの宗教儀礼については、私などとても語りつくせるものではありませんが、
この2010年、バリにあっては宗教的慣習が廃れるどころか、若い世代に確実に受け継がれ今後も続いていくであろうと思われます。
それは何故なのか?次回以降で考察します。
↓今回は美術とは違う話題ですが・・・
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2010年8月16日月曜日
中之条ビエンナーレ参加とバリ旅行
2010年8月14日土曜日
意識しないトレーニング
しかし見ているものに注意を払わない。
目は前を見ていても
できるだけ視野の周辺のほうを意識する。
そのうち、自分の真横で起こっていることや
音などで自分の後ろで起こっていることがわかるようになる。
そして自分の身体の内部で起こっていることを意識する。
つまり、呼吸によって大きくなったり小さくなったりする肺や
心臓の動きなどを。
そうして意識を内面にも外面にも
全方位的に広げ
意識自体を希薄にしていく。
すべてのものをただ流れるままにしておくこと。
ただ知覚が知覚するままに。
私は受動意識仮説を支持する者である。
自分の意識をギリギリまで希薄にし
神経の諸活動が剥き出しになるようにする。
そして、身体活動と、精神活動の境界を
無くしていこうと思う。
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2010年8月5日木曜日
保苅実さんの写真展が開催されます。
保苅氏の、「歴史をつくるのは現在の人間の身体である」という独自の視点、アボリジニ文化を学問の対象ととらえず、彼らの文化の側に立って考究したという点など、その功績は歴史学にとどまらない革新的なものだ。32歳という若さで世を去ったのが本当に悔やまれる。
保苅氏のサイトは当サイトのリンク集にも3つも掲載しています。
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保苅実写真展 カントリーに呼ばれて~オーストラリア・アボリジニとラディカル・オーラル・ヒストリー~
オーストラリアの先住民アボリジニの歴史を、特にオーラル・ヒストリーに焦点を当てて研究を続けた歴史学者・保苅実(1971-2004)の遺した写真や遺品を通じ、オーストラリア先住民文化と、彼の歴史に対する斬新な視点を紹介する。
期日:9月6日(月)-9月12日(日)10AM - 5 PM(最終日は4 PMまで)
場所:立教大学(池袋キャンパス)の7号館ロビー
主催:日本オーラル・ヒストリー学会(JOHA)
協力:保苅実とつながる会、立教大学社会学部
後援:豪日交流基金、オーストラリア大使館入場無料。
大学・JOHA関係者以外の入場も可能です。
http://www.hokariminoru.org/index.html
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