2009年12月20日日曜日

辻井伸行はどう感じているのか?



「ヴァン・クライバーン・コンクールに初めて優勝した日本人」「全盲の」という2つの枕言葉が付く、辻井伸行氏。
爆発的人気はまだまだ続きそうだが、
彼の奏でるビアノは、これまでのどのピアニストとも違う何かを感じる。

「純粋」「軽やか」「透明」という言葉が出てくる。

かつての名演奏家は、「知的」、「熱情的」、「力強い」、など、迫力があったのだが、辻井氏はどれとも違う。

この、「川のささやき」というオリジナル曲を聞けば、誰でも容易に川の流れる様子を想像することだろう。川の流れている「映像」や、川の流れている「音」を想像するというよりは、聞く人自身が川そのものになって、水となって流れており、小さな水のしぶきを上げている。。。そんな風になることだろう。
この幸福感は、世界とつながっている幸福感である。

もちろん、このような「音世界」は、辻井氏が全盲であったからこそ生まれたものだと思う。
彼は川そのものとなっている。
ピアノによって川を表現しているのではなく、ピアノの上で、彼は川となっているのである。


彼は子供のころ、母親に「今日の風は何色?」と聞いたことがあるという。
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眼が見えない伸行に色というものを理解させるために、
「りんごの赤」「バナナの黄色」などと教えていました。
すると伸行は「じゃ、今日の風はなに色?」と聞いてきたのです。
眼が見えない伸行にとっては、
大好きな食べ物に色というものがあるなら、
同じく大好きな風に色があっても不思議はありません。
(辻井いつ子著「今日の風、なに色?」より)
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全盲の人が色を理解することは無理だと思うのだが、
「色」というものは文字通りの色彩という意味に使うばかりではありません。
「音色」という言葉があるように私たちは音にも色があると感じます。

彼の感じている世界は、豊かな音色に彩られているに違いない。

「風が好き」というのも盲人らしい。風は触覚的な感触とともに、広さを感じさせ、
世界全体とつながっているような感覚になる。私が海に入って感じたことに似ている。

視覚は重要な情報源だが、他の感覚にくらべれば世界の実体そのものからはむしろ遠い。
入ってくる光の情報を、一度解釈しなければならないからだ。

辻井氏は、インタビューで、「一日だけ目が見えるようになったら、何を見たい?」
という質問をされたことがある。
(あるサイトでは、なんて失礼な質問をするんだと非難の嵐になっています。ちなみに辻井氏は
母の顔が見たい、という泣ける回答をしている。)
しかし、生まれつき全盲の人が一日だけ目が見えるようになっても、突然入ってくる光の洪水を
どう解釈してよいのかわからないはずだ。
生まれつき全盲の人が、角膜移植によって目が見えるようになると、最初は何がなんだかわからずパニックになり、中には再び目を閉じてしまって今までどおりの生活に戻ってしまう人もいるという。
視覚に頼って生活できるようになるためには、相当長い時間がかかる。
このように視覚は手続きの多い、複雑な感覚なのである。

もし、辻井氏が全盲でなかったならば、彼は視覚情報の処理に邪魔されて、世界にあふれている音色や触色やらを感じとることができなかっただろう。

プロのピアニストである以上「全盲の」という枕言葉は必要ないはず、という意見もあるようですが、「全盲」というのは彼の際立った個性であり、音楽家としての強みであると思います。社会的にはハンディですが、芸術家として世界の実相と向かい合うにはむしろアドバンテージであったといえるでしょう。

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